書き散らし

男子女学生

脱糞の予感

こうやって文章を捻り出すというのも久しぶりで今までどんなふうに書いてたか思い出せなくなってます。進学してからというもの何故だか文章を書くという行為が非常にばかばかしく思えて全然書いてきませんでしたが、久しぶりに文を書きたくなったので書いています。

 

今、文章を書くと何度か記したとおもいますが実際には書いていません。画面に向かってただ文字を打ち込んでいるだけですね。これははたして「書く」という行為になるのでしょうか。謎です。

 

昨今、どの分野を見てもデジタル化が推進され、文を執筆するという仕事でも恐らくデジタル化が進んでいると推測されます。そうなると文筆家の人たちが言う自称執筆活動は真の意味での執筆活動と言えるのでしょうか。私の考えが古いからかもしれませんが、やはり文筆家を自称する人種は、コンピュータのキーボードではなく原稿用紙に文字を書くべきなのではと考えています。

以前何かのタイミングで泉鏡花の執筆した原稿を見たことがあります。そこには何度も手直しした跡が見られるんですよね。私は文筆家の書く文章はそうやって何度も何度も直して書き上げるものだと思ってるし、デジタルで修正した場所がわからなくなるようなものを文章を書き上げる人間を文筆家と自称させるのは如何なものかと感じています。書いた文章を直すという行動の裏には必ず筆者の意図があります。

 

なんか想像以上に長くなりそうだし、かなり偏った思想になっていって危険な気がするので文章についての云々についてはもう触れませんたぶん。

 

さよおなら。