書き散らし

男子女学生

琵琶湖路珍道中

3月23日何曜日かは忘れたが午前4:00珍しく目覚ましよりも先に目が覚めた。このまま二度寝するとおそらく7:00くらいになるのでそのまま起きた。トイレに行き歯を磨きとここまではいつも通りなのだが、この日はいつも朝食を作ってくれる母上がまだ寝ている。なので朝飯は冷蔵庫に入っていた晩の残りにありつくことにした。本当ならばあったかいご飯を食べたかったがご飯など炊けているはずもなくしかたなく白飯は我慢することにした。4:30駅に向かった。友人は既に駅に到着したという連絡があったので私も早足で駅に向かった。5:00頃始発の特急電車が駅に滑り込んだ。この時間にもかかわらず、車内には数人の乗客がいた。私とNは座席を回転させ4人席にし、空いた座席に各々の荷物を置いた。列車が動き出した。が私とNは眠りについた。普段は寝ている時間だ。寝た。途中で車掌さんに切符を見せてくれと頼まれ起こされたがそれが終わるとまた寝た。目が覚めると列車は既に福井県に入っていた。まもなく車掌の福井駅に到着するという内容の放送が車内に響いた。私はNを起こした。福井で一度改札を出るつもりだったが乗り換えの列車が既に到着しており、車内に乗客の様子が見えたので改札を出ずにそのまま列車に乗ることにした。敦賀に向かう列車でも寝た。しっかりと寝た。目が覚めるとそこは北陸トンネルのなかであった。ケータイの電波が届かなかった。トンネル内を走行する列車の轟音ですっかり目が冴えてしまい、私は退屈だった。本の一冊でも持ってくればよかったと後悔した。

まもなくNも例の轟音によって目が覚めた。私とNは他愛のない会話を試みたが列車の轟音により会話がままならなかった。私とNは一刻も早くこの暗闇から抜け出すことを祈った。

やがて列車は減速していき敦賀に到着した。敦賀では乗り換えの列車まで時間があったので朝の敦賀駅前をすこしだけ散策しようとした。が、思ったよりも肌寒く私とNは一目散に駅の待合室へと入った。

ここで事件が起きた。なんと、後続の特急の遅れが私たちの乗り換えの列車にまで影響を及ぼし、本来の予定が崩れてしまった。本来ならば近江今津という滋賀県の駅で京都行きの普通列車に乗り換える予定だったのだが列車の遅れによってこの京都行きの普通列車に乗り換えることが不可能になったのだ。

とりあえず私とNはこのまま近江今津まで行ってそこで予定を組み直すことに決めた。

 

近江今津にはおそらく1時間近く遅れての到着だったと記憶している。そこで、20分後に大阪行きの新快速があるとの事なのでそれに乗って京都まで行くことにした。

 

近江今津という街は寂しい街だったと記憶している。駅の外に出てもあまり人がいなかった上に駅の中も薄暗く不気味な印象があった。

 

大阪行きの新快速にのり京都まで行った。京都まで私とNはずっと立ちっぱなしであった。多少つかれた。京都からは山陰線を利用して二条まで行った。山陰線の車内は観光客でごった返しさながら蒸し風呂のように暑かった。

 

私とNは二条城へ向かった。とりあえず二条城を見ておきたいと思ったのである。が、城内部は例の列車のように観光客でごった返していた。ゆっくり見れなかった。私とNは外に出た。屋根のどこかだったかに隠れ葵とよばれるものがあるとNが言っていたので、それをNと探した。その後堀に浮かんでいる鴨を眺めたりして時間を潰した。この時点で本来の行程などもう完全に無視していた。二条城を後にし私たちは京阪電車に乗りどこかの駅で降りて、Nの希望で漢字ミュージアムなる所に行くことにした。Nは漢字が大好きで小学生の頃にすでに漢検3級を取得していた。すごい。今は亡き祖母に薔薇という漢字を教え祖母を喜ばせていたことは今でもよく覚えている。

漢字ミュージアムには2018年の今年の漢字と言われる、年末に清水寺の偉い坊さんが書いた「災」という字が飾られていた。2018年は何かと災害か多かった。大阪の地震、7月にあった水害、北海道の地震。まさに2018年は災害の年だったと記憶している。漢字ミュージアムは他にも文字の歴史のような展示があったような気がする。

私の印象に残っているものは漢字がたくさん書かれた私の背丈よりもはるかに高い湯呑みがあったことだ。

 

漢字ミュージアムを去ると次の目的地は奈良だった。私とNは修学旅行で奈良の鹿と戯れることができなかった事を非常に残念に思っておりどうしても鹿せんべいをちらつかせ鹿に囲われたいと思っていたのである。急いで駅に向かい奈良に向かった。漢字ミュージアムからどうやって向かったかは忘れた。奈良についてしばらく歩いた。奈良公園近辺には沢山の歴史的建造物が見受けられたが歴史に疎い私とNは何がなんだかよく分からないまま素通りしていってしまった。そして奈良公園に着いた。が、鹿せんべいを売っている場所が分からなかった。近くに鹿せんべいを売っているであろう店もなかった。残念だった。悔しかった。しかたなく煎餅をもらえるであろうと期待し無一文の我々に近づいてきた馬鹿な鹿どもの写真を何枚か撮ってやった。

 

私とNはうなだれて奈良駅へと向かった。奈良駅からは大阪行きの列車に乗り大阪へ向かった。なんとか座れたがやはり車内は観光客でごった返していた。大阪には午後の7時頃に到着した。帰宅ラッシュでホームは観光客ではなく現地の通勤客でごった返していた。

大阪からは宿のある姫路までまっすぐ向かった。はじめ乗ろうとした姫路行きの新快速はとんでもなく混んでいたので1本見送ることにした。10数分待つのは田舎者である我々にとって何の苦行でもなかった。1本見送ったおかげで私たちは列の先頭に並ぶことができた。ホームに滑り込んできた新快速に乗ったがすでに席は満席だった。姫路までは立ちっぱなしであった。姫路駅のホームの駅そばでたぬきそばだったかを食べた記憶がある。閉店間際だったのかは分からないが店内は閑散としており天かすをたっぷり乗せてくれた。おいしかった。よくよく考えてみると今日はじめて食べるまともな飯だった。姫路駅近くのホテルに向かった。部屋にはシャワーがあったが、大浴場があるとのことだったのでそっちを使うことにした。暖かかった。やはり広いお風呂はいいもんだと思った。その後テレビを見てダラダラした後に眠りについた。