人間に生まれた以上すべての人に本能として性的欲求という物がありそれはまったく恥じるべきものではないと思うのですが、なぜ人は性的な事を忌み嫌うのでしょうか。
その理由は単純で、我々人間がそのように教育されてきたからだと思うんですよね。実際、今この雑文を書いている私自身すこし恥ずかしいですし。
まぁ要はこんな教育を作ったのがすべて悪いんだと私は声を大にして言いたいわけではなく、人はなぜ性的な事を恥ずかしいと捉えるようになったのか、それを考えていきたい。
今回はこのブログが始まって未だかつてないレベルで真面目な雰囲気になっていると思いますがなんか考えるのめんどくさくなってきたんでやめます。
パッと思い付いたのが性的欲求を間違った方向で昇華する人間が多くいたからなんじゃないでしょうか。知らんけど。
いましがた書いた性的欲求の昇華方法というので一般的に用いられるのは自慰行為と呼ばれるものですが、あの単純な摩擦運動によってもたらされる複雑な快楽というのはまさに人間の神秘の象徴なのではないでしょうか。
以前現代の性に餓える人間どもは単純な映像や画像だけで自分の欲を満たそうとするからさらに性に餓える。活字だけで性的欲求を満たすことのできる人間は知的な人間の証だ、と言うことを以前どこかで聞きました。
ネットの発達はエロと共にあり、今日ここまでネットが私達の生活に溶け込んでいるのも、十数年前の色に餓える偉大なる愚か者どもによってここまでネットが身近になった、と考えるとなんか面白いですよね。血眼になって、いかに簡単にエロにありつけるかを考えながらネットの発達に尽力してくださった方々にはもう頭が上がりません。
しかし生殖行動に快感が伴うってのは不思議ですよね。単純に子孫を増やすだけなら快感を伴う必要性は無いと思うんですけどね。
もしかするとあの快感というのは私達が思っている以上にとてつもなく大切な意味があるのではないかと考えたりします。
火は人間に文明を与え神は人間に希望と争いを与えた。すると快楽は人間に知能を与えた事になるだろうきっとたぶん。
何を書いているのか分からなくなってきたが私も何を書いているのか分からなくなってきたが。
あれ?
なんかだんだん迷走しはじめてますね。
南無阿彌陀仏