書き散らし

男子女学生

ドライブ・ミーの・カー

昨日までの天気が嘘だったような小春日和の午後、私は1台の軽のバンを走らせていた。1ヶ月ほど前に免許を取得してからいままで、運転をしてこなかった。緊張する私の横を横目に母が呑気に外の景色を楽しんでいた。車内で流れるBGMは佐野元春のデビューアルバム"BACK TO THE STREET"

私は何度も横にいるのは可愛い女の子であって欲しいと思ったがそんな願いも虚しく、視界の端にはもうじき還暦の、白髪まじりの黒髪頭の女ひとつしかなかった。

夏をあきらめて

本年も暮れはじめまして皆様如何お過ごしでしょうか。

ここで私からの疑問なのですがガーターベルトはパンツの上につけるのか下につけるのかどちらなのでしょうか。

野郎の皆さん考えてみてください。

 

私からの疑問その2

女には勝負下着なるものはあるが男に勝負下着、つまり見られる用の下着はあるのだろうか

婦女子の皆様どうぞお考えください。

 

 

私からの疑問です。2022年が終わるまでに解決してください。

物語のように

先頭の景色というものは非常に面白く、座っているとすべてを見ることができる。私は、バスの一番先頭の座席が大好きだ。運転手の動き、降りていく人の動き、前方の交通の状況、大体のものを見ることができる。とりわけ、バスの運転手の動きは見ていて非常に興味深い。彼らの運転姿勢やハンドル捌き、停止中の様子を見ていると運転手ごとに違いがあり非常に面白い。一応断っておくが、私はそれらを凝視しているのではなく外の景色を見ていると自然と視界に入っているだけである。

そんな中で今日、変な人を見た。一見何の変哲もない女子高校生なのだがパスケースが変なのである。パスケースというとビニール製の薄っぺらいチンケなやつを思い出すだろうが彼女は違った。ミッキーマウスの手なのである。しかも彼女のそれはパスケースにしては非常識なまでに巨大で重厚なのである。まるでディズニーランドにいるミッキーマウスの着ぐるみから手だけ引きちぎたくらいの大きさだ。私はその巨大さに圧倒され思わず視線を手元の携帯電話にそらしてしまった。

今思うと、あれは私の見間違いかもしれないしもう少し小さかったのかもしれない。ただ、私は寝ぼけていただけなのかもしれない。

俺、全盛期の福山雅治にそっくりなんだけど

ご無沙汰してます。私は元気です。

 

突然ですがライカを買いましたが私は元気です。

かっこいいですね。
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銀座の柑橘系青果店で以前使ってたNikon S2を売ることで得た金で買いました。

 

使い方はすごく簡単。裏蓋を開けてフィルムを差し込むだけであとは巻き上げレバーを巻いてシャッターを押すだけです。

猿でもできますね。

 

しかし最近の人間はこんな猿でも扱えるようなカメラを億劫がって使わずに知能を持たない単細胞生物でも扱えるようなデジタルカメラしか使いません。猿以下です。

 

おわり

社会を舐めるな青二才

はっきり言って私含め現代の若者は社会を舐めていると感じる。

確固たる証拠はないが肌で感じる

過去への軽蔑。未来に対する疑いと嘆き。現状に対する絶望。

そんな状況にありながら我々は何一つとして変わろうとしない。

現状に対する不平不満があるのであれば自らが主体となり変えていこうという意識が必要ではないのか。何一つ生産性のない閉鎖的なネット空間で互いの傷を舐め合い慰め合っているだけではお前らが思い描く理想などいつまでったても来ないのだと分からないのか。

全く、日本も落ちぶれたものだ。

 

誰かなんかしてくれないかなぁ・・・

神様おねがい

書きかけだけど考えがまとまらなくなったので公開しときます。

今日、道ばたに鳥が死んでいるのを見つけました。たまにいますよね、道の端っこで死んでいる動物。

皆さんは死ぬということに恐怖をもっていますか?私は死ぬことはとても怖いことだし、できれば死にたくないと思っています。しかし、長生きしたい。不老不死になりたいとは思っていません。でも死にたくないんです。矛盾してますね。この矛盾は何なのか?私なりの考えですがこれは、私たち人間が本能的に永遠に生き続ける事は不可能と分かっているからなのではないか。
どんな生き物も持っている命は有限だしどれだけ長生きしてもそのうち死にます。この文を読んでいるあなたも死んでしまうし、私も死にます。どんな事物でも始まりがあれば確実に終わりが来ます。終わり、つまり死というものは平等に訪れるのです。平等に終わりは来るのに始まりから終わりまでの時間は平等ではありません。これはどうしようもないことです。

これは私含め皆さんがそう感じているのではないかと思うのだが死ぬということは特別なことであると認識しているのではないでしょうか。確かに、これから死んでいく当事者やその人と親しい関係にあった人からすれば特別なことであるのだろう。しかし、全くもって無関係の他者からすればそれは日常のごく当たり前の風景であり、特別なことではないのではないだろうか。実際に私たちは街で霊柩車を見かけても特別悲しくなったりしないし、珍しいと感じないと思います。
少し古いデータになりますが厚労省が平成22年に出した「日本の1日」というものには、日本では毎日2935人が生まれ3280が死亡していると載っています。

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挨拶文(前回の更新から2週間以上経過した場合はお久しぶりですもしくはご無沙汰してますを文頭に入力)

 

近状報告(何か特別なことがあったらここに書く。ただし書きすぎに注意。)

 

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結びの挨拶(もしこれから死ぬのであれば辞世の句を詠むとなお良い)